こんにちは、mizukiです。
この記事では自己紹介も兼ねて、私がADHDに気づき、治療開始するまでの経験をまとめました。
私は自分がADHDではないか?と疑いだすまで、物心ついて以降の劣等感がひどく、ずっと苦しい思いをしてきました。
結果的に病院で診断を受けた結果、ADHDだけでなくASD(アスペルガー)も併発していることがわかりました。
自分の特性に気づき、上手く付き合いコントロールしながら治療も続けることで、自分の人生を俯瞰してみることができるようになったと思います。まだまだ課題点は多いですが。
この記事が今現在似たような症状で苦しんでいる方のお役に立てれば幸いです。
忘れ物、失くしものがあまりにも多く、何をやっても上手くいかない

物心ついた頃には「自分は忘れっぽくて、ドジでおっちょこちょいで抜けていて何をやっても上手くいかない、怒られる」という認識を持っていました。
幼稚園まではそんなことを意識したことはありませんでした。
小学校入学後は「決められたことを決められた通りにやる」ことを求められるため、常にぼんやりしていて注意力散漫だった私はそれについていくことができず劣等感の連続でした。
”自分は運も悪ければ運動神経も勉強も、何をやっても出来が悪く、どんくさい”
という強いセルフイメージが日に日にひどくなっていき、とても苦しかったのを覚えています。
けれど当時はそれが「生きづらさ」ということだと知ることすらできなかったので、自分はだめな人間なんだと納得させることしかできませんでした。
以下、今だから思うADHDと思われる行動です。
ちょっと過去を思い返すだけでもざっとこれだけ思いつきます。こんな感じだから、自分のことをよく理解していない、自己管理能力がまだ身についていない子供の頃は本当に苦労しましたし、自己肯定感もとても低かったです。
これは私だけかもしれませんが、興味のないことややるべきことに関する短期記憶は苦手な一方、不思議がられるほど長期記憶の範囲が広いという傾向もあります。
興味があること、ないことへの熱量に差がありすぎる

小学校までの授業にはあまり関心がなく、強いていえば国語の成績はそれほど悪くなかった程度です。明らかに理系科目に対しては既に苦手意識がありました。ところが
中学に入学し、幼少期から興味を持っていた英語の授業が始まると、水を得た魚のように成績が爆上がりします。興味があるから授業も100%聞いていたし、苦労した覚えはありません。
高校時代も先生から「極端だなぁ」と言われる成績の開きがありました。理系科目0点、英語100点と言ってもいいくらい差がありました。
それなら英語は勉強しないで、理系科目だけ頑張ればよかったんじゃないの?と思われるかもしれませんが、それができないのが私の持っている特性なんだと思います。
自分でも不思議なほど、興味がないから「手を付けることができない」んですよ…。
全く身が入らないんです。文字を眺めているだけ。やらなきゃいけないことはわかっているのに、やることができない。そんな感じでした。自分でも不思議でした。
うっかりミスが異常に多い

就職してからのことですが、自分が異常にミスが多いことを知りました。
こんな感じでした。
文字にして改めて眺めると、相当問題ある社会人だし、仕事できない人の特徴そのもの、って感じですよね。
年数と経験値を重ねて少しマシになった部分はありますが、新入社員の頃の上司・先輩は相当苦労したものと思います。
いまだに育ててくださったご恩を感じていますし、ご迷惑をおかけしたことを本当に申し訳なく思っています。。
もう少し早く自分の特性に気づいていれば、少しは回避できたこともあるかもしれません。タラレバですが。
集中力がない・過集中

興味のないことには全く意識を注ぐことができないADHDと言われる通り、私も例によって一切集中力のない人間でした。
特技は人の話を聞いているふり、といっても言い過ぎではないほど。
とにかく0か100か、なんですよね。気になることがあると寝るのも忘れて熱中して翌朝寝坊、も昔はよくやっていました。
異常なほど時間を守れない

これはもうADHDの代名詞と言ってもいいほどではないでしょうか。
片づけ方がわからない

自分の部屋が散らかっていることは100も承知でしたし、元来きれい好きで若干潔癖気味という自覚もあるのに、部屋をきれいに保つということができませんでした。
家に上げた友人から「部屋、片付けようとか、思わないの…?」
と遠慮がちに言われたこともあるほどです。主に書類関係が散乱していた記憶があります。
課題意識は持っていたので、なぜ片付かないのか?自己分析を続けていまして、結果
「片付け方がわからない」「何から始めたらよいのかわからない」という結論がでました。
これに関しては大人になってから解決策に出会い大きく変わることになります。
遺伝の可能性が高い

子供の頃の最も古い記憶は自分がまだ言葉も話せないくらい小さい頃なのですが、その時点で両親が生活していた部屋の一室が散乱していたような記憶があるんです。
その後に引っ越しし、長く過ごすことになる戸建ての実家も常に散らかっていました。
家に入った業者が
「うわぁ~、すごい物が多い。特に書類が多いですね。大学教授かなんかなんですか??」
と驚愕の声を上げるほどでした。ずいぶんストレートな物言いの方でしたが、全くその通りなんですよ。
本来家族が食事をとるはずの食卓は常に母親の郵便物や子供である私たちの学校関係の書類、仕事関係の参考書、新聞、チラシ、等々が積み重なっていて雪崩のようになっていました。
来客予定があると、その前日~直前にかけてのみ、家中ひっくり返したように物を別の部屋に隠す移動が始まる。
私の家庭教師が初めて家にくるという前日は、半徹で母親と片付けをしても完全には終わらなかった記憶があります。
撮った写真やビデオは撮りっぱなしなので、写真アルバムというものが家にはほぼ存在していません。
とにかく物の定位置がない。
引っ越しするときに
「この家ってこんなに広かったんだね…」
って親と会話したほど、ありとあらゆる場所が物であふれていました。子供だしそれが当たり前の環境で育ったから「うちって散らかってるなあ」くらいの軽い認識しかありませんでしたが、友達のお家や大人になってお邪魔するお客様のご自宅を拝見するうち、その異常性に気づくことになります。
人って自分のことを認識するのには他人という存在が必要だと思うんですよ。
私が私の特性に気づいたきっかけも、他の人と比べて明らかにおかしい部分があるな、何か違うな。このままじゃまずいな。という比較からの問題意識でした。
結果的に、仕事であまりにも周囲に迷惑をかけ続けた私の心が限界を迎え、脳の病院を受診することになります。
そしてついに受診…結果は、ADHDと、ASD(アスペルガー)

診断結果は、案の定ADHDでした。そしてASDも併発していました。
意外だったのは、これでも”グレーゾーン”だったことです。
なんなら医師からは「あなたは正常ですよ。」とさえ言われました。
でもちゃんと脳波を測っていたため「強いて言うならグレーゾーンです。(脳波データを見ながら)ここに少し見えるのがADHDとASDです。お困り感が強いのであれば、治療開始するというのも一つかもしれません」とのこと。
こうして私は自己認識を深め、治療を開始し、「苦手なことと注意が必要なこと」を意識しながら生活するようになっていきます。
まとめ
治療費は高額のため現在はいったん終了していますが、優先すべき支払いがある程度落ち着いたら、納得するまで治療を続けるつもりです。効果があるのかないのかは別として。
まだまだ自分の不注意などで困ることはたくさんあるのですが、かつての自分と比べると大分改善と成長を感じる項目がたくさんあるんですよ。それが治療の効果なのか、特性を理解することで前より上手くやれているだけなのか、年齢を重ねたことによる経験値でカバーできているものなのかはわかりません。でも、何もわからなかったかつての自分より、少しでもマシになっているのは感じます。
私は投薬治療ではなく、根本原因である脳に直接働きかける治療を選択しました。
今後もブログで治療経過を発信していくつもりですので、ご覧いただければ幸いです。
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